一人の歌好きとして

キャッチコピー:音痴でも合唱は出来る

自分は家族揃って音痴の家に生まれたため、ろくに音程を取れない。音がズレてても気付かない。いつまで経っても相対音感が身につかず、ドの音を聞いてから確信を持ってソのつもりで全然違う音を出す。カラオケもキーを変えれば途端に歌えなくなり、事実上音取りやり直し。そんな私を音楽に引き込んでいく運命は実に不思議なものでありました。

「男子歌えよ!」が定番ネタの中学校合唱コンクール。音痴な自分にも恵まれた才能があり、それは祖父譲りの圧倒的な「声のデカさ」でありました。声さえ大きければ目立つ中学合唱で完全に先生に乗せられた私は、熊谷高校入学後に音楽部に入部することになります。それまでは自分が音痴だということを意識することもありませんでした。そこで突き付けられる現実と辛い練習の数々。しかし、本番の楽しさやコンクールで賞を獲った際の達成感は何物にも代えがたく、徐々に合唱にのめり込んでいくことになります。

最終的に大学受験直前まで音楽部の活動に取り組み続けました。そして大学受験、第一志望は不合格となり、慶應ともう一つの私立大学が選択肢として手元に残りました。もう一つの選択肢のほうが志望順位が上だったにも関わらず慶應を決めた理由、それこそが他ならぬ「慶應義塾ワグネル・ソサエティー男声合唱団」の存在だったのです。

歌で広がっていく世界

慶應ワグネルに入ってからは、一層自分の音痴度合いを強く認識するようになります。本番前にはパートリーダーによる一対一の「オーディ」と称される個人レッスンがあります。ここでズタズタの音程を指摘されまくり、一曲の合格を取るにあたって最低でも一時間が必要という状況が続きました。演奏会一回につき平均20時間は最低でもかかりました。それでも合唱を続けることが出来た理由は自分には未だにわかりません。練習は最後まで嫌いでしたが、辞めたいと思ったことは不思議とありませんでした。

そして合唱を始めて5年目、初めて定期演奏会でのソロを獲得します。自分の声質は合唱を始めて以来常に硬く、銃弾のように痛々しく飛んで行くものでした。そんな声質とは最もかけ離れたソロに非常に緊張し、抜擢以降の練習は一層厳しいものとなりました。

この演奏会は自分にとって大きな転機となりました。この演奏会を契機に知り合ったバリトン歌手の方から写真の撮影を依頼され、以降親交を深めていくうちに発声を見ていただくようになり、同時に個人で歌う機会を頂くようになりました。また、そこから一気に人脈が広がっていき、有意義な交友関係を築くに至りました。この経験は自身の合唱人生の中でも特に大きな出来事でした。(下記動画は京都コンサートホールで行われた第63回東西四連のロビーストーム。Ride the Chariotのバリトンソロを関西学院グリークラブの団員と歌った。その下の写真は師匠のリサイタルに合唱として参加させていただいた際のもの。)

これからの歌人生は?

ワグネルを引退した今、今後の音楽人生をどうしていくかという分岐点に立っています。音楽は続けていきたいと思っていますが、今後も合唱で続けていくのか、それとも一人で歌う道を探していくのか。

そんな僕に声をかけてくれた熊谷高校音楽部の卒業生のみんな。今は彼らと一緒にコンクールに向けて合唱を楽しんでいます。引退後の初舞台は埼玉ヴォーカルアンサンブルコンテストでした。結果は銀賞でしたが、コンクールの舞台で歌うというのは実に4年ぶりだったので、ある意味新鮮でした。

また、一方で様々なイベントへの出演についても個人的にお声がけを頂いていて、改めてかけがえのない縁の数々に感謝する日々です。どんな形であれ、今後も一人の歌好きとしての人生を歩んでいきたいです。

上音源
オペラ「オテロ」より、「Credo in un dio crude!」(ピアノ:木原雅裕 2016年2月13日「慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団・女声合唱団ウィンターコンサート」 芝浦区民センター)

下音源
ミュージカル「ジキルとハイド」より、「対決」(ピアノ:宮澤夏未 2016年8月12日「カレがカゲキノ世界に足を踏み入れたら」 南麻布セントレホール)

CD・DVD

過去に出演・収録に参加、あるいは何かしらの形で関わった演奏で販売されているものです。